東京大学大学院総合文化研究科

言語情報科学専攻

Language and Information Sciences, University of Tokyo

東京大学大学院総合文化研究科

言語情報科学専攻

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書物文化論

テクストには、必ずなにか支えがいります。たとえば中世の武勲詩や「語り物」のだと、「声」や楽器の伴奏をともなって、聴衆に伝えられるのがふつうでした。必ずしも「文字化」を前提としませんし、作品の輪郭も、ジャズの即興演奏のごとく、そのつど微妙に変化したと思われます。

もちろん、われわれがふつうに抱くイメージは、「文字」をまとったテクストで す。でも、この場合だって、テクストは同一でしょうか? 写本時代は、そうはいかず、(微妙に)異なる複数の本文が流通していたのです。やがて活字本という、同一のテクストを複数流通させる技術が出現します。本文の固定化というベクトルが、作品の輪郭を、ひいては作者の輪郭を鮮明なものとしていきます。シェイクスピアという「作者」の誕生などが好例といえます。読む営みも、音読から黙読へと少しずつ移行していきます。

こうして、文学空間なるものは、作者性→テクスト性→書物性→読書性という、複数の位相のせめぎあい・歴史性のうちに立ち現れるのです。たとえば「作者性」は、近代になると、「固有名」や「著作権」「印税」といった形で表象されるでしょう。王侯君主というパトロンに庇護されていた、「雲海の王者」(ボードレール)としての芸術家も、「市場」という名の地上に引きずりおろされます。「印税システム」という数量が、作品の価値を左右する時代が到来したのです。こうした「文学の普通選挙」(ゾラ)に直面して、フロベールは、自分の小説の原稿を読ませずに、出版社に売ろうとまでするでしょう。ここには芸術家のジレンマが象徴的なかたちで見てとれるのです。

以上、いくつかのポイントを素描してみました。「書物文化論」は、このような事柄に着目して、従来の文学研究の一新をめざした領域なのです。作家・作品研究でもなければ、テクスト至上主義でもありません。書誌学・文献学といった、専門に特化した学問を包摂する寛容さは持ちあわせていますが、その先の地平をめざしています。(文学)テクストを真摯に読むことから出発して、「書物」という、テクストと支持体からなる文化的構築物を、その歴史性をも視野に収めて思考してみようではありませんか。

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