このホームページについて

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このホームページは、フランスの作家ピエール・クロソウスキー(Pierre Klossowski, 1905−2001) に関するWebサイトです。ちなみに日本語表記では「クロソフスキー」と書かれることも多く、ポーランド貴族の末裔として生まれていることを考慮するとこちらの表記の方があるいはより正しいのかもしれません*が、ここではフランス的に「クロソウスキー」に統一しておきます。では私がなぜこのようなページを作ったのか、そこからお話しましょう。

*「芸術新潮」2001年6月号の「追悼特集 バルテュス」p.50によると、弟の画家バルテュスは「私の姓は『クォソフスキー』と発音するのが正しい」と述べていたといいます。「クォス」とは古くからあるスラブ語(ロシア語にもある)で「麦の穂」のことだそうです。→詳しくはここをご覧ください(2004年11月20日追加)

  1. 今現在、クロソウスキー専門のサイトがあまり存在しない。

    クロソウスキーについて多少なりとも触れているサイトは海外のものを含めいくつかあるのですが(リンク参照)、私が調べてみた限り、少なくとも2001年4月の時点では、クロソウスキーに関するある程度まとまった情報を載せている専門サイトはあまり見当たりませんでした。それならば私が作ってしまおう、と考えたのがこのサイトを立ち上げた一番大きな理由です。

  2. 私自身、大学院でクロソウスキーを研究している。

    これも1と同様単純な理由ですが、ホームページを作成する以上いいかげんなことは書けないし、その作成の過程が自分の研究にも役に立つのではないか、と考えました。

  3. インターネットというツールを生かせば、クロソウスキーに多少なり とも関心のある人々とのコミュニティやネットワークが作れるのではないか、と考えた。

    私の知る限りでは、大学などでフランス文学や思想(特に20世紀)に少しでも関心をもっている人のなかで、クロソウスキーの名前を全く知らない、という人はそれほどいないように思います。しかしそのなかにはすでにいくつかの著作を読んだ、という人もいれば、名前は知っているけれどどんな人なのかはよく知らない、という人までさまざまです。とはいえ、このホームページはその対象をアカデミズムの領域の人々に限るものではありません。フランス文学、いわんやクロソウスキーのことなどまったく知らないという人、よく分からないが何かの拍子でこのサイトにやってきてしまったという人にも、このクロソウスキーという人物がどんな人で、どんな作品を残しているのか、ということが伝わるような内容にしていきたいと考えています。そして、メールや掲示板といった機能を使えば、クロソウスキーに興味をもった人々との一定の相互関係を形成することが可能になるのではないでしょうか。まだまだ研究の端緒に立ったに過ぎない私自身、ネットを介してクロソウスキーをめぐる言説が新たな広がりをもつことを期待しています。もちろん、このサイトに関するご意見も大歓迎です。

    以上が、私がこのサイトを立ち上げた大まかな理由ですが、ここからは私がなぜクロソウスキーという作家に興味を持ったのか、それをお話したいと思います。大学のフランス文学専攻に進学したとき、自分は何を軸に据えて勉強したらいいものかと考えました。もともと20世紀フランスの文学や思想には漠然とした関心があったため、フランスの作家を中心に場当たり的に読んでいました。ジョルジュ・バタイユはその一人です。一つには、性、いわゆるエロティシズムの問題に興味があったからでしょう。特に、キリスト教文化のなかで育まれたフランスにおける20世紀の作家や思想家たちは、いったいこの問題をどう考えているのか、関心は自然にそちらのほうに向かったわけです。ご存知の通り、キリスト教的な世界観、倫理観が抑圧し続けてきたものの一つとして、「性の問題」があります。ここでは詳細は省きますが、バタイユのエロティシズム(あるいはフーコーのいう歴史的な「性」の問題)への考え方の根幹には、まさにそのキリスト教的世界観、ひいてはそれを内包している西洋文明そのものへの批判の要素が濃いと思います。

    したがって私はまず、20世紀においてまともにキリスト教と格闘し続けたフランスの作家にはどんな人がいるんだろう、と思っていろいろ調べてみました。しかしながら20世紀になっても、創作活動のなかでキリスト教が大きな位置を占めていた作家は枚挙に暇がありません。モーリャック、クローデル、ジッド、ジュリアン・グリーン、ベルナノス・・・。このなかには、護教的な性格の作品を書いた作家もいますし、あるいはたとえばジッドのように、キリスト教に対して常にアンビヴァレントな感情を抱き続けていた作家もいます。

    そんななか、そのころ読んでいたバタイユの文学評論集『文学と悪』(山本功訳)の「サド」の項の中に、ピエール・クロソウスキーという名前があるのに気づきました。バタイユはこのなかでサドを論じつつ、クロソウスキーの評論『わが隣人サド』をところどころ批判しているのですが、「キリスト教徒のクロソウスキーは・・・」と繰り返し書いています。私は上に書いたような理由で、キリスト教的倫理観に(非常に過激な形で)異を唱えたサドには以前から関心を持っていましたが、ここでバタイユにそのサド論をところどころ批判されている「キリスト教徒のクロソウスキー」とはいったいどんな人物なのか、私の関心は一気にそこに向かいました。

    まもなく、クロソウスキーという人がバタイユの友人の一人で、小説家、評論家、さらには画家でもあり、カトリックの修道士を志しながら、それを放棄したという経歴の持ち主であることを知りました。(その後棄教しているため、正確にいえば彼は「キリスト教徒」ではないようです。ここでバタイユに批判されている彼のキリスト教的な視点は、主に1947年の『わが隣人サド』の初版でうちだされていたもので、20年後の改訂版では、この視点は徹底的に放棄されています。詳しくは作品の項をご覧ください。)そしてその小説や絵画が極端にエロチックなものであることも。私はクロソウスキーの作品を次々に読んでみました。もっとも、日本語になっているものは限られていますし、なっていてもすでに絶版になっているものが多いこの作家の作品を見つけ出すことはそれほど容易ではありませんでした。古本屋や大書店を回りつつ、つたないフランス語力で未訳の処女作品『中断された召命』を読んだりもしてみました。

    そのなかで次第に分かってきたのは、簡単に言ってしまえば、クロソウスキーの作品が小説作品であれ、サドやニーチェを論じたものであれ、あるいは神話を註釈したものであれ、さらには絵画であれ、キリスト教神学(あるいは正統的神学によって異端とされてきたグノーシス主義)を多く下敷きにしつつも、それらをずらし、反転し、パロディ化しながら、現代思想のなかで確実にひとつの特異な領域を形成している、ということでした。まだ研究の充分進んでいるとはいえないこの作家の作品に私は強く関心をもち、それらを読み、考えてみることにしたのです。

    2001年、私はクロソウスキーの小説『歓待の掟』を主な題材として学部の卒業論文を提出しました。今思えば不満に思うところもかなり多いのですが、自分の研究のひとつの出発点にはなったと思います。これからもクロソウスキーを中心に据えて、しかし関心の領域を限定しないよう、幅広く研究を続けていこうと考えています。

    ※後記:「クロソウスキーって誰?」の末尾にも記しましたが、この文章は、今からちょうど五年前、私がこのHPを立ち上げたときに書いたものです。今読めば恥ずかしいほど稚拙なところも目に付きますが、自分のクロソウスキー研究の出発点と重なる時期に書いたものでもあり、初心の記録という意味で、敢えてそのまま残しておきます。どうかお目こぼしくだされば幸いです。なかなか更新ができませんが、クロソウスキー研究は続けておりますので、折を見て、また新たなコンテンツを増やしていけたらと思っております。(2007年1月)

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