自然の景色や都市の景観をデザインとして認識するとき、私たちはそこに何を見いだし、どんな意味と構造を読み解こうとしているのだろうか。本性的にカオスとして生み出された自然(natura naturata)に美を認め、有機性を付与することは、神秘の世俗化、遂行不可能な神意の此岸的翻訳の試みなのだろうか。あるいは古代から反復されてきたアルカディアの幻視、脱政治的空間への遁走、それとも自己陶酔的妄想なのか。生命のデザインとして自然が再現された十八世紀に近代美学の始源を辿りながら、その言説の内奥に眠る風景への意識形態を解きほぐし、開放してみたい。都市もまた、そこに棲息する人間が生み出し、デザインした空間である限りにおいて、生命のかたちの一変型であって、自然の純粋な対蹠物ではないだろう。自然は都市に取りこまれ、再現され、都市もまた自然を再生しながら、カオス化していく。自然と都市、牧歌と文明、歴史とユートピアとの弁証法的交錯。それもまた完成することのない生命体であり、記号論的捕捉を拒絶し続けるコラージュでもあろう。自然と都市をデザインとして見つめる言説を、「ピクチャレスク」という十八世紀の美学的概念を軸にして分析することで、風景意識の歴史的位相を層として掘り起こしていきたい。
序論
崇高の美学 ― ロンギノスからバークまで
山岳美の発見 ― 世俗化する創造主の技藝
ロマン主義美学の誕生
ピクチャレスクと風景式庭園
風景のイデオロギー
恐怖の美学と政治学 ― ゴシック幻想・妄想
オリエンタリズム ― 異国趣味と風景のデザイン
風景の科学 ― 旅行、探検、帝国主義
風景の詩学 ― ジョン・ラスキンを中心に
都市のピクチャレスク
大正・明治の日本
まとめ
毎回、重要文献の抜粋を中心にして議論を展開する。担当者1~3名が担当箇所について口頭発表を行い、教員を含めて議論を行う。
授業への参加態度・発表 60%、課題・レポート 40%
重要文献の抜粋をPDF資料として配布
毎回の授業で紹介する。
外国語文献(英・仏中心)の読解を含む。