第13回言語情報科学研究発表会

日時: 10月20日(金) 4時30分_
場所: 10号館3階 会議室
発表者1: 小嶋 美由紀
内容1:
日本語「人(ヒト)」は、一般の人や自分以外の他人を広く指すことも、時に 話者自身を指す(自称詞)こともできる(例:「人のこと、馬鹿にして!」「人がこ んなに心配しているのに」)。実は中国語でも同じような振る舞いをする“人家 (renjia)”がある。しかも「人」“人家”とも、話者が自称詞として用いるときは 単純な叙述ではなく、聞き手に対する異議申し立ての意図を含意している。では実際 のところ、この二つの語に使用範囲や使用条件において違いはあるのか、そしてその 違いは、日本語と中国語の人称表現を反映していると言えるのだろうか。この疑問か ら、主に語用的観察を通して見られた相違点を簡単にまとめると、以下の二点であ る。氈F一人称“人家(renjia)”も自称詞「人」も、発話以前に聞き手が話し手に対し てした行為言動に対し、話し手が異議申立てをするという点で共通している。しか し、“人家”が異議申し立てであればどのような場合でも用いることができる一方 で、「人」は使用される命題に制限があり、話し手は自分を「他人化」できるもので しか使えない。:一人称“人家(renjia)”は、話し手と聞き手が親しい間柄で、しかも若い女性 や子供に使われる傾向があるのに対し、自称詞「人(ヒト)」は親しい間柄かどうか には関係なく、また老若男女を問わず広く使われる。結論:“人家(renjia)”は代名詞としての機能を持つが、「人(ヒト)」は代名詞 と言い難い。研究会発表では、この二点の相違点から結論に到った経過について説明する。 また、相違で、“人家”が主に若い女性や子供にのみ使われるといった特徴につ いて、なぜそのような現象が起こるのか、社会学、社会言語学的見地より、皆様のご 意見を承りたい。

発表者2: 神山 剛樹
内容2:
日本語とフランス語のリズムは、Pikeが提案しAbercrombieが発展させた "stress-timed" vs. "syllable-timed"の類型論によれば、同じ"syllable-timed"の カテゴリーに分類される。以降、この単純な二項対立に見直しを迫るさまざまな研究 が行われてきたが、いずれにせよ両者は、日本語と英語との違いを考慮すれば、リズ ム的にはそれほどかけ離れてはいないといえるだろう。とはいえ、日本語(母語)話 者のフランス語学習者にとって、フランス語のリズムは決して自明なものとはいえな いだろう。本研究では学習者の読み上げ文を分析し、両言語の大きな差異の一つとな っていると思われる、発話末の時間的特徴について考察する。なお、今回は最終音節 が母音で終わる開音節となっているデータを扱ったものに限定した発表となる。


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