1905 | パリに生まれる。父は画家・美術史家のエリック・クロソウスキー、母は画家バラディーヌ・クロソウスカ。 | 8歳のピエール |
1908 | 弟バルタザール、親称バルテュス生まれる。 |
1914 | 第一次世界大戦始まる。一家はチューリヒからベルンを経て、ジュネーヴへ移り住む。この地で兄弟は勉学を開始。母バラディーヌ、詩人ライナー‐マリア・リルケと親しく交際。 |
1922 | リルケの紹介でアンドレ・ジッドに手紙を書いて援助を乞い、一人パリに戻りジッドの秘書を務めつつ、リセ・ジャンソン・ド・サイの哲学級に進む。 |
1924 | ジッドの『贋金つかい』の挿絵を描く話が入るが、その絵のあまりの大胆さゆえにジッドに拒絶される。 |
1925 | 最初のサド論を手がける。 |
1930 | リヨン大学で神学を学ぶ。翻訳フランツ・カフカ『審判』抄(ピエール・レリスと共訳)。ピエール・ジャン・ジューヴの仏語訳詩集『ヘルダーリンの狂気の詩』に協力。 |
1933 | ジョルジュ・バタイユ、アンドレ・ブルトン、ポール・エリュアール等のグループ「コントル・アタック(反撃)」に参加。オットー・フラッケ『マルキ・ド・サド』の仏訳。 |
1936 | バタイユ、ミシェル・レリス、ロジェ・カイヨワ、アレクサンドル・コジェーヴ、ジャン・ポーランが組織するグループ「コレージュ・ド・ソシオロジー(社会学研究会)」に参加。(ドゥニ・オリエ編『聖社会学』兼子正勝・中沢信一・西谷修訳、工作舎、1987)バタイユ、アンドレ・マッソンと共に「アセファル(無頭人)」誌編集(ジョルジュ・バタイユ他『無頭人』、現代思潮社、1999。兼子正勝・中沢信一・鈴木創士訳)。翻訳ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』抄。翻訳マックス・シェーラー『苦悩の意味』。 |
1937 | 翻訳ヴァルター・ベンヤミン『ゲーテにおける神話的不安』抄。 |
1938 | 翻訳キェルケゴール『アンティゴネー』。 |
| 1940年のドイツ占領に始まり、45年の終戦に至るこの時期、ベネディクト会、ドミニコ会と順次修道院生活を送り、修練士として暮らすも、修道僧となることを放棄。 |
1944 | 3月5日マルセル・モレのグループ「デュウ・ヴィヴァン(生きている神)」での討論会『罪について』に、バタイユ、ダニエルー、ドゥ・ガンディヤック、イポリット、サルトル等と参加(清水徹・出口裕弘編『バタイユの世界』、青土社、1978所収。恒川邦夫訳)、基本命題要旨を任される。 |
1945 | 翻訳カフカ『日記』。 |
1946 | ドニーズ・マリ・ロベルト・モラン‐サンクレールと結婚。 |
1947 | 評論集『わが隣人サド』Sade mon prochain、緒言と論文『悪虐の哲学者』を加えた改訂版は1967。(豊崎光一訳、晶文社、1969) |
1948 | 評論Note sur le Traité de l’Ame Tertullien 『テルトゥリアヌスの霊魂論に関する覚え書き』。翻訳ハーマン『聖書に関する瞑想録』。ヘーゲルの研究をも併載。 |
1950 | 小説『中断された召命』La vocation suspendue、本邦未訳。 |
1952 | 書簡Lettre sur Walter Benjamin 『ヴァルター・ベンヤミンについての手紙』(『ユリイカ』特集「クロソフスキーの世界」、青土社、1994年7月号に清水正氏による邦訳がある) |
1953 | 小説『ロベルトは今夜』Roberte, ce soir 素描6枚を挿絵として付す。(遠藤周作・若林真訳、河出書房新社、1962) |
1954 | 翻訳ニーチェ『悦ばしき知識』。 |
1955 | バタイユ、ジャコメッティ、マッソン等の奨めにより、「等身大」の素描を自宅に展示。 |
1956 | 評論『ディアーナの水浴』Le Bain de Diane、素描を付す。(宮川淳・豊崎光一訳、美術出版社、1974)パリCours de Rohanにて私的展覧会。 |
1957 | 評論Johann Georg Hamann『ヨハン・ゲオルク・ハーマン』 |
1959 | 小説『ナントの勅令破棄』La Révocation de l'édit de Nantes(前出『ロベルトは今夜』所収)。翻訳スエトニウス『十二皇帝伝』、クレー『日記』。 |
1960 | 小説『プロンプター』Le Souffleur ou le Théâtre de société(後出『ロベルトは今夜』所収)。 |
1961 | 翻訳ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』。 |
1962 | 翻訳伝李漁『肉蒲団』抄。フランツ・クーンの独訳からの重訳。 |
1963 | 評論集『かくも不吉な欲望』Un si funeste désir(小島俊明訳、現代思潮社、1969)。 |
1964 | 翻訳ウェルギリウス『アエネーイス』。ラテン語の統辞法に極度に忠実なそのフランス語訳は賛否両論を巻き起こす。7月4日〜8日、ロワイヨーモンでのニーチェ会議(主催者はドゥルーズ)に出席し、のちの『ニーチェと悪循環』(1969)にほぼそのままの形で収録されることになる「同一なるものの永遠回帰の生きられた経験における忘却と想起」という発表を行う。 |
1965 | 小説『歓待の掟』Les Lois de l'hospitalité 前出『ナントの勅令破棄』、『ロベルトは今夜』、『プロンプター』のいわゆる『ロベルト三部作』をこの順にまとめ、「はしがき」と「あとがき」を付したもの。(邦題『ロベルトは今夜』若林真・永井旦訳、河出書房新社、1968、1987新装版『歓待の掟』) 小説『バフォメット』Le Baphomet(邦題『肉の影』小島俊明訳、桃源社、1967。のち、『バフォメット』と改題、同訳、ペヨトル工房、1985) 「クリティック」賞受賞。 |
1966 | 67年版『わが隣人サド』に『悪虐の哲学者』Le philosophe scélérat を付す。サド全集版『新ジュスティーヌ』序文。 |
1967 | パリの画廊Le Cadran Solaireにて「P・クロソウスキーの鉛筆」展。初の個展。カタログ序文はマッソン。このころから美術論を多く手がけるようになり、個展も毎年のように開くようになる。サド全集版『恋の罪』、『ソドム百二十日』序文。翻訳『ライナー・マリア・リルケとルー・アンドレアス・ザロメ往復書簡集』。 |
1968 | ピエール・ズッカ監督作品、映画『ロベルトは今夜』の制作。カンヌ映画祭に出品された。クロソウスキー夫妻主演。ジュネーヴの画廊「オーロラ」で個展。評論『ローマの貴婦人 ある種の行動の祭祀的にして神話的な起源』Origines culturelles et mythiques d'un certain comportement des Dames romaines(千葉文夫訳、哲学書房、1989)。素描多数。 |
1969 | 評論集『ニーチェと悪循環』Nietzsche et le cercle vicieux(兼子正勝訳、哲学書房、1989)、1975、1978改訂。ローマ「イル・セーニョ」、ミラノ「シュヴァルツ」で個展。ル・モンド誌に『マルクスとフーリエのあいだ』を発表(ドゥニ・オリエ『聖社会学』再録)。 | 1972年、スリジー=ラ=サルにて。左から、ジル・ドゥルーズ、ジャン=フランソワ・リオタール、モーリス・ドゥ・ガンディヤック、ピエール・クロソウスキー、ジャック・デリダ、ベルナール・ポートラ。 |
1970 | 評論『生きた貨幣』La Monnaie vivante(兼子正勝訳、青土社、2000)ピエール・ズッカ写真。文芸誌L’Arc「ラルク」クロソウスキー特集号。ビュトール、ブランショなどのクロソウスキー論考および著訳書、書誌を含む。
|
1971 | 翻訳マルティン・ハイデッガー『ニーチェ』、「アンドレ・フランソワ・プティ」で素描展。カタログはマッソン。パトリック・ワルトベルグ、クロソウスキーの文章を収録。 |
1972 | 色鉛筆を使って「タブロー」を制作。次第に絵画活動を主とするようになる。ジュネーヴ「ベナドール」で個展。7月、スリジー=ラ=サルでの討論会「ニーチェは、今日?」に出席。「悪循環」と題する発表を行う。ドゥルーズ、リオタール、デリダ、ラクー=ラバルト、サラ・コフマンなどが出席。 |
1974 | 評論集『ガリヴァー最後の仕事・サドとフーリエ』Les dernières travaux de Gulliver suivi de Sade et Fourier トリノ「リサルシュ」で個展。 | 平行棒(1978) |
1975 | パリ「洗濯船」で個展。 |
1976 | 翻訳ニーチェ『断章1887‐1888』 ラウール・ルイス監督作品、映画『中断された召命』 |
1977 | アントワープ「レンズ・ファイン・アート」で個展。 |
1978 | ピエール・ズッカ監督作品、映画『禁じられたロベルト』Roberte interdite クロソウスキー夫妻主演。映画ロベルト特集号Obliques, Roberte au cinema, 1978. |
1980 | ミラノの現代美術館で個展。ズッカやクロソウスキーら4人による序文。 |
1981 | ベルン美術館で「ピエール・クロソウスキー回顧展」。レミ・ゾーグとの対談Simulacra「模像」発表。 |
1982 | 「ダニエル・タンプロン」で個展。アラン・フライシャー監督作品、映画『ピエール・クロソウスキー、霊息(いき)の芸術家』Pierre Klossowski-Portrait de l'artiste en souffleur, 52min, 1982. |
1983 | ニースのジュール・シェレ美術館にて回顧展。 |
1984 | チューリヒのマーク・ルロンで新作展。評論と対談集『ルサンブランス』La Ressemblance(清水正・豊崎光一訳、ペヨトル工房、1992)フランス・ユゼとのインタビューEros, Belzebuth et Cie『エロス・ベルゼバブ株式会社』、評論集『サルトルからフーコーへ』に収録。(『夜想22』、特集クロソウスキー、ペヨトル工房、1987に杉原整氏による邦訳あり) | ガニュメデス(1986) |
1985 | ジャン‐モーリス・モノワイエとの対談『画家とそのデーモン』Le Peintre et son démonを出版と同時に差し止める。特集号Cahiers pour un temps, Ed. du Centre Georges Pompidou, 1985. 特集号Revue des sciences humaines, Lille V, n゜197,1985.
|
1988 | 評論集『北の博士』Mage du Nord (1948年にクロソウスキー訳によるヨハン・ゲオルク・ハーマンの『書簡』その他を収めた『聖書に関する瞑想録』に、クロソウスキーが序文をつけたもの。クロソウスキーによる序文、『ユリイカ』1994年7月号、鈴木創士訳)東京シブヤ西武シードホールで個展。 |
1994 | アラン・ジュフロワとの対談集『感覚の秘められた力』Le Secret Pouvoir du Sens, Ecriture. |
2001 | 8月12日、パリにて死去。享年96。 |